2016年10月18日火曜日

幻の村〜新川村

ABCから荒川左岸を遡り、この季節は美しい吹上のコスモス畑を通過してさらに進むこと
およそ5km。
久下橋の手前「海から72km」付近の土手下にその村はあります。
土手上からはかつての屋敷林が田畑の中に点在し、度重なる大水による土砂で埋もれかけた神社の鳥居も見えます。

















その村の名は新川村。江戸時代の荒川の瀬替え(人工的に流路を変更)により、江戸と繋がった荒川の港として繁栄した村です。
中山道が近く、穀倉地帯から集めた米を江戸に運び、江戸からは油や塩が運ばれました。
明治の初めの調査記録では98軒で人口は500人。問屋や商店が並び、栄えていたそうです。

そんな新川村も鉄道の開通で陸上輸送の時代を迎えると舟運の需要減とともに衰退していきます。
また度重なる洪水と国の方針で堤外への転居が進み、昭和46年には最後まで暮らしていた「荒川最後の鵜匠」と言われる長島さんが亡くなり、村は370年もの歴史を終えます。
かつての問屋や商店の建物はすでに失われていますが、屋敷林や墓地などが確かに人が暮らしていた跡を伝えます。
















廃村という言葉がありますが、あまり良い言葉ではないと思います。
旧新川村にある田畑には今でも実り多く、先祖累代の墓地もあります。
かつて暮らした人々やご遺族には大切な場所であり、村は完全に忘却されたわけではありません。見学される方は、地域の方への配慮をお願いします。
※ロードバイクでも旧村内を走行できると思いますが、悪路が苦手な人や繊細な自転車は十分にご注意ください。

















土手にあるカスリーン台風の洪水による堤防決壊の碑。
度重なる洪水の度に、当然村には濁流が押し寄せます。堤内に住む理由がなければ住み慣れた土地とはいえ危険であり、村を離れるのはやむを得ないことでしょう。















堤防は補強の形跡を残し、治水の歴史を物語ります。

久下の長土手が始まる場所にある権八地蔵。しゃべったことがあるそうです。
無口そうにお見受けしますが、どんなお声なのでしょうか?(笑)